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じいちゃんありがとう

19日の土曜日の早朝というか日付が変わって間もない頃

祖父が他界しました。


私は大学生になった時から実家を出ているので

もうかれこれ、20年近く祖父とは離れて暮らしていました。


私が保育園に入る前に祖父と祖母と私の3人で

祖父の運転する軽トラに乗って動物園に行った時の記憶が私の中で1番古い祖父との記憶です。


子どもの頃の私はわりとおじいちゃん子で

小学校4年生位まで祖父と一緒にお風呂に入っていました。

湯船につかり祖父の作ったお話を聞くのが好きでした。

厳しく叱られた記憶はなく、温厚なやさしい祖父でした。


歳を重ねるごとに祖父とゆっくり話す機会もどんどん減っていき

会うこと自体、年に1、2回程度になってしまいました。


定かではありませんが還暦を過ぎてテニスやゲートボールを始め、

70歳過ぎても続けていた記憶があります。

竹細工の同好会をつくり「おじいちゃん工房」のリーダーとして

長年活動し、よく食べ本当に活動的なおじいちゃんでした。


脳梗塞によって半身不随になった祖母を献身的に介護し

祖母が亡くなった後はやはり少し元気がなくなったような気がします。


夜、明かりが消えて真っ暗になった祖父の家を見て

長年連れ添った伴侶に先立たれ、1人で眠る毎日はどんな感じなんだろうと

言いようのない気持ちになったことを覚えています。

まあ、当の本人はそんなこと微塵も考えずに

あっけらかんとしていたかもしれませんが。


活動的だった祖父も身体が思うように動かなくなり

数年前に軽トラを車庫に入れる際、謝って畑に落ちてしまってから

周囲に運転を禁止され、それから家の中で寝て過ごすことが多くなった気がします。


年に1、2度帰省する度に少しずつ小さくなっていく祖父

相方と一緒に帰るといつも

「まあ、元気でやれよ、また帰ってこいよ」

と言ってくれた祖父をずっと忘れない。


自由に動けなくなった祖父を、自分たちで面倒を見れない後ろめたさからか

親戚連中は施設にいれようとしました。

祖父は泣いて家に居たいと言ったそうです。

それまでもそれからも嫁である私の母はヘルパーの人に助けてもらいながら

一生懸命、自宅で祖父の介護をしてきました。

母も足腰が弱く、自分の足を引きずりながら

文句を言いながらも投げ出さずやり切ってくれました。

母1人に任せてしまってゴメン、今までお疲れ様、ありがとう。


介護する人の大変さや孤独というのは経験した人にしかわからないことだと思います。

祖父が亡くなって一番辛かったのは、実の子どもたちより

介護をしていた母なんじゃないかと私は思います。

母の気持ちや体調がガクンと落ちないように気をつけたいと思います。


祖父はずっと自宅で過ごしていたのですが、1月末に動けなくなり

「わしの人生はもう終わりや、病院連れて行ってくれ」

と自分で言い出し入院しました。

そして半月たった頃、病院で1人亡くなりました。

担当医が不在で、うちに連絡が入った時には既に亡くなっていたのだそうです。

家族は誰も死に目には会えませんでしたが、それも祖父の選んだことのような気がします。


戦争を生き抜いて、何もないところから必死で生きて作りあげてきた祖父の世代

物や情報に溢れ、ぬくぬくと育ってきた私たちの世代で

生きることに執着している人、必死に生きている人がどれだけいるだろうか?

必死に生きてきた祖父は自分の人生の幕引きも本当に見事でした。

じいちゃん、最期にすごさを見せ付けられました。

ほんとうにかっこいい人生でした。ありがとうございました。

長くなってしまったけど、忘れないように書き留めておこうと思いました。


じいちゃんありがとう!

5年前、携帯で何気なく撮った畑作業をするじいちゃんの後姿。




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